故人にしてあげる儀式、末期の水というのをご存じですか?
どなたかが亡くなり、家族や親類が集まったところで葬儀社の方が「末期の水をご用意しましょう。」というシーンをご覧になった方は多いはずです。
でも、その「末期の水」とはどんな意味があって、しかも作法などを理解していない方もいらっしゃるかと思いますし、大切な方や家族を送り出す儀式なので興味深い内容だと思います。
末期の水とは?
昔から行われている風習の一つです。「末期の水」の他にも「死に水を取る」とも言います。本来は臨終間際に行われていましたが、現在は臨終直後や、安置され枕飾りが済んでから行われる場合が一般的になっています。
仏典のなかにある話が由来となり、故人にお水を飲んでいただく代わりに唇を水で湿らせてあげる行為です。故人が息を吹き返すようにとの祈りと、これからは喉が渇いて苦しむことのないようにとの願いを込められていますので、丁寧にして差し上げたいですね。
末期の水のいわれ
仏典の中に記載されている内容がこちらです。
『末期を悟られたブッダは弟子の阿難に命じて、口が乾いたので水を持ってきてほしいと頼んだ。
しかし阿難は川の上流で多くの車が通過しており水が濁り汚れているので我慢してくださいと言った。
しかしブッダは口の乾きが我慢できず、三度、阿難にお願いをした。
そして「拘孫河はここから遠くない、清く冷たいので飲みたい。またそこの水を浴びたい」と言った。
その時、雪山に住む鬼神で仏道に篤い物が、鉢に浄水を汲み、これをブッダに捧げられた。』
とあります。
この話だけでは、あまり意味がわかりにくいのですが、管理人の解釈としては
鬼神で仏道に篤い物が、水を汲んで捧げたところにおおきな意味を持つと考えます。
篤いとは、真心がこもっている・こころが深いという意味などがあり、信仰が篤いと使います。
鬼神とは、亡霊のことや恐ろしい悪魔のような鬼として考えられています。
このことを合わせて考えると、弟子は願いを叶えることをしなかったが、一見鬼のような者でも信仰心が深く、真心がこもっているのであれば、願いを叶えてあげられるということではないでしょうか。
故人の最後にしてあげられる「真心の証」かも知れませんね。
末期の水のやり方
① 清潔な脱脂綿もしくはガーゼを用意し、割りばしの先に巻き付け解けないように白糸でしばる。(新しい筆でも結構です)
② ①の脱脂綿部分に、器に入った水をふくませ、故人の口を湿らせる。
③ 順番は、配偶者→子・親→兄弟姉妹→親類と、故人との関係が深い方から行います。