臨終(看取り)家族の接し方
家族との最後を一緒に過ごす
大切な家族との最後のひと時…
何も考えず、息が小さく小さくなり、そして最後の瞬間まで、真剣に看取ることだけに集中しましょう。家族と一緒に過ごす貴重な時間は、もう、あまりありません。
静かに、静かにその一瞬一瞬を無駄にしないように。
その時しなければいけないことはなにもありません。一緒にいてあげればあとは何もしなくて十分です。
家族(故人)がまだぬくもりがあるうちに、手を握ります。最期を迎えた人の体温は約60分で1度下がるといわれています。安置場所(霊安室や自宅)へ運ばれた時には生きていたころのにぬくもりがすでに失われています。
その場に立ち会える家族・知人はできるだけ立ち会って貰いましょう。小さな子供がいる場合でも「まだ小さくてわからないから」と外に出たりはしないでください。私の子供もまだ幼稚園年少でしたが、祖父の臨終に立ち会いました。
なぜなら、確かにまだ「幼い子供」で今、目の前で何が起こっているのかわからないかもしれませんが、その経験を通じて「人が死ぬとはどんなものか?」看取るという日常では味わえない貴重な体験を、祖父の臨終に立ち会うことで、何かを感じ取ってもらいたかったからです。
身内の死を目の当たりにし、みんなが悲しんでいる姿を見て肌で感じ、看取ることを通じて「命のリレー」を繋ぐことを見せることは、故人が残す最大の遺産ともいえるでしょう。
※看取りは「故人への思い」が大事
遠方に住んでいたり、危篤を知らせたがすぐには駆けつけることができない場合には、最後に立ち会えないことも十分に考えられます。だとしても後悔の念は残るかもしれませんが、ご自身責めたりしないことです。家族が遅れた場合も同様です。「なんで遅れたんだ」などと叱ってはいけません。
そもそも「看取り」とは「最後の瞬間(臨終)を一緒に過ごすこと」だけではありません。例えば、余命が分り入院した段階ですでに臨終が秒読みを始めます。「その日」を迎えるまでの期間、家族の看病、見舞いで、その本人と一緒に過ごしたその時間そのものすべてが「看取り」そのものではないでしょうか。
また、臨終に間に合わなかったとしても、亡くなった後に、亡骸のそばで静かに過ごしたにしても看取ったといえると私は考えます。
一番大切なことは「あなた自身のの体」
葬儀関係の仕事に携わっていると、「最期を看取ってあげられなかった」と悔やむ方が、本当にたくさんいらっしゃいます。故人の兄弟姉妹など、親戚の方々といがみ合い、ご自身の体調を崩される方も数多くいらっしゃいます。
なぜこのことについて、最初に合書かせて頂いたかというと、このブログに来ていただき、この記事を読んでいる「あなた」には「看取れなかった」ということが原因で、心身ともに蝕んでいってほしくはないからです。
危篤の連絡が入り、あまりにも動揺してしまい、病院への途中で事故を起こしたり、血圧が上がり脳卒中になり自分も病院へ運ばれたり、極度のストレスで寝込んでしまう方などもいらっしゃいます。
この後、あなた(ご遺族)には「葬儀」という大切な使命があります。故人を見送る大切な儀式に、ご家族全員が臨むために、ご遺族の皆さん全員が自分の体調を第一に考えなければなりません。
故人にしてみれば、自分の葬儀のため、残された家族が病気になったり、家族、親戚同士がいがみ合い、仲たがいするようなことを望むはずはありません。みんなが仲良く、健康で、幸せでいることが、故人の一番の望みだとは思いませんか?
または、仮に祖父母、ご両親が病床に伏せられたなら、時間を見つけて病院に訪れ、見舞いや看病に訪れることも、ご自分が後悔しないことにつながるでしょう。それも不可能な状況でしたら手紙を送るとか、まだご健在のうちに気づかいを心がけてみてはいかがでしょうか?